2011年 06月 13日
「魔笛×邪笛」公演後記(森本) |
森本です。
ご来場いただきましたお客様、ありがとうございました。
「魔笛×邪笛」公演@Art complex1928は無事終了いたしました。
今までも少し演技を織り交ぜた演奏はしていましたが、
メンバー全員が本当にキャストとして役を演じるのは今回が初めて。
しかし皆確実に「自分ではない何か」に幽体離脱する喜びを感じておりました。
また、照明、音響のプロフェッショナルにご協力いただけたことも公演成功の大きな要素でした。
ご協力ありがとうございました。
「演じる」行為と「演奏する」行為は非常に似た部分があります(どちらも英語ではplayです)。
その意味でも今回の公演は私達にとって非常に有意義でありました。
これからも皆様に楽しんでいただけるよう努力してまいります。
当日来れなかった方のために・・・以下は私が書いたプログラムノートです。
-----------
オペレッタ『邪笛』作曲について
――難しいのは物語の中にある規則、遊びのルールのようなものを考え出すことなのです。物語を想像する場合には、どうしてもこのルールがなければならないと思 うのです。例えば、チェスをするときのように、本でも、音楽でも、演劇の場合でもルールが必要なのです――
この言葉はインターネットで拾ってきたドイツの作家ミヒャエル・エンデの一節です(『物語と夢』所収「物語とは何か?」。私達は毎年4月1日に行っている定期公演において、19世紀、20世紀のいわゆる「芸術音楽」と呼ばれるものが排除しようとしてきたエンターテイメント性をクローズアップし、色々な要素を取り出し遊んでみようという試みをしてきました。中でもモーツァルトの音楽は天才のひらめきとエンターテイメント性にあふれており、私達が空想を膨らませ、さらに遊ぶための絶好の、そして美しい音楽のひとつでした。そうして「パロディ作曲シリーズ」として皆さんに大変好評だった『フィガロの結婚』対『フィガロの離婚』(2009年)、『魔笛』対『邪笛』(2010年)、『パリ』対『バリ』(2011年)などを作曲してきました。このコンセプトをさらに拡大し、ひとつのオペレッタを作ってしまおう。つまり『魔笛』のパロディというのが今回の『邪笛』のルールなのです。
とはいえ、全てを同じコンセプトでパロディにするのではなく、聴き手の興味を持続させるための効果を考慮に入れ、4つの異なる形のパロディ手法を用いて作曲しました。
1. 音の変化 「序曲」、「おいらは馬刺し」、「これはうまそう」の三曲は、程度の差がありますが、モーツァルトの用いたリズムを残しメロディや和音はまったく違うものに仕上げてあります。
2. 言葉のデフォルメ 「デヘヘねえちゃん」と「レレレのうた」は台本から派生した言葉の響きを音楽にしています。
3. 響きの変化 「なんとひどい、ブサイクな姿」、「なんかわからんけど、いい人っぽい」と「この聖なる笛には」の三曲はモーツァルトのモチーフを使いながら、言葉の意味に対してもっとも違和感のある響きを求めてみました。
4. パクリ(ただし不採用) 最後の二曲「馬法の笛」と「フィナーレ」に関しては、もはやモーツァルトの原曲などさっぱり忘れるようなパクリ曲を並べてみたのですが、さすがにメンバーからのクレームと著作権の恐怖からNGが出て、谷風、江戸両氏が作曲しなおしてくれました。
そしてさらに、これらの曲からは、モーツァルトが知りえなかった音楽(シャンソン、演歌、端唄、フュージョン)の響きが脈絡なく飛び出してきます。
皆さんの想像を面白く裏切る事ができれば、と、メンバーがそれぞれにアイデアを出し合って作り上げたドタバタ劇『邪笛』どうぞお楽しみください。
森本英希
------------
追記
4のパクリについて、楽譜を見た時のメンバーのコメント・・・
「もともとがパロディのコンセプトで楽をしているはずなのにさらに作曲してないってどうなの?」
「魔笛とか、どうでもよくなってない?」
「これはひどい!」
「しかも、原曲よりクオリティが断然下がってるし」
「アハハハ、ねえ?」
などの反応がメンバーからありましたとさ。
さーせんっした m(_ _)m
も
ご来場いただきましたお客様、ありがとうございました。
「魔笛×邪笛」公演@Art complex1928は無事終了いたしました。
今までも少し演技を織り交ぜた演奏はしていましたが、
メンバー全員が本当にキャストとして役を演じるのは今回が初めて。
しかし皆確実に「自分ではない何か」に幽体離脱する喜びを感じておりました。
また、照明、音響のプロフェッショナルにご協力いただけたことも公演成功の大きな要素でした。
ご協力ありがとうございました。
「演じる」行為と「演奏する」行為は非常に似た部分があります(どちらも英語ではplayです)。
その意味でも今回の公演は私達にとって非常に有意義でありました。
これからも皆様に楽しんでいただけるよう努力してまいります。
当日来れなかった方のために・・・以下は私が書いたプログラムノートです。
-----------
オペレッタ『邪笛』作曲について
――難しいのは物語の中にある規則、遊びのルールのようなものを考え出すことなのです。物語を想像する場合には、どうしてもこのルールがなければならないと思 うのです。例えば、チェスをするときのように、本でも、音楽でも、演劇の場合でもルールが必要なのです――
この言葉はインターネットで拾ってきたドイツの作家ミヒャエル・エンデの一節です(『物語と夢』所収「物語とは何か?」。私達は毎年4月1日に行っている定期公演において、19世紀、20世紀のいわゆる「芸術音楽」と呼ばれるものが排除しようとしてきたエンターテイメント性をクローズアップし、色々な要素を取り出し遊んでみようという試みをしてきました。中でもモーツァルトの音楽は天才のひらめきとエンターテイメント性にあふれており、私達が空想を膨らませ、さらに遊ぶための絶好の、そして美しい音楽のひとつでした。そうして「パロディ作曲シリーズ」として皆さんに大変好評だった『フィガロの結婚』対『フィガロの離婚』(2009年)、『魔笛』対『邪笛』(2010年)、『パリ』対『バリ』(2011年)などを作曲してきました。このコンセプトをさらに拡大し、ひとつのオペレッタを作ってしまおう。つまり『魔笛』のパロディというのが今回の『邪笛』のルールなのです。
とはいえ、全てを同じコンセプトでパロディにするのではなく、聴き手の興味を持続させるための効果を考慮に入れ、4つの異なる形のパロディ手法を用いて作曲しました。
1. 音の変化 「序曲」、「おいらは馬刺し」、「これはうまそう」の三曲は、程度の差がありますが、モーツァルトの用いたリズムを残しメロディや和音はまったく違うものに仕上げてあります。
2. 言葉のデフォルメ 「デヘヘねえちゃん」と「レレレのうた」は台本から派生した言葉の響きを音楽にしています。
3. 響きの変化 「なんとひどい、ブサイクな姿」、「なんかわからんけど、いい人っぽい」と「この聖なる笛には」の三曲はモーツァルトのモチーフを使いながら、言葉の意味に対してもっとも違和感のある響きを求めてみました。
4. パクリ(ただし不採用) 最後の二曲「馬法の笛」と「フィナーレ」に関しては、もはやモーツァルトの原曲などさっぱり忘れるようなパクリ曲を並べてみたのですが、さすがにメンバーからのクレームと著作権の恐怖からNGが出て、谷風、江戸両氏が作曲しなおしてくれました。
そしてさらに、これらの曲からは、モーツァルトが知りえなかった音楽(シャンソン、演歌、端唄、フュージョン)の響きが脈絡なく飛び出してきます。
皆さんの想像を面白く裏切る事ができれば、と、メンバーがそれぞれにアイデアを出し合って作り上げたドタバタ劇『邪笛』どうぞお楽しみください。
森本英希
------------
追記
4のパクリについて、楽譜を見た時のメンバーのコメント・・・
「もともとがパロディのコンセプトで楽をしているはずなのにさらに作曲してないってどうなの?」
「魔笛とか、どうでもよくなってない?」
「これはひどい!」
「しかも、原曲よりクオリティが断然下がってるし」
「アハハハ、ねえ?」
などの反応がメンバーからありましたとさ。
さーせんっした m(_ _)m
も

by lunettes2008
| 2011-06-13 19:53
| その他